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2024年05月18日
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(no subject)

2010年05月17日
私は怒ってはいけない。


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そう、これは。

2010年05月16日
伝染する。

貴方の悲鳴を聞いて、

私は底知れぬ不安を覚えた。

そして私は耐えきれず、






叫んだ。







それはまた別の貴方の耳に届き、















悲鳴は伝染する。

自殺ではないけど、

ウェルテル効果の一種ですかね。


多分、伝染している。

今夜も貴方の悲鳴が聞こえるかも知れない。























でも事実を。

私はこの1年叫ばずに来た。

ほんの少しのうめき声をあげただけ。

けど、気付かれてはいるんだ。

このRomanzescoにしてRieninsidiaがその舞台。


私は貴方の悲鳴が聞こえたとしても、

自ら悲鳴をあげたりはしない。

貴方に手を握られたか、

首を絞められたその時だけ、


叫びをあげるとしよう。




そうだ。

2010年05月16日
貴方が11ならば。

俺は111だ。


だから、

俺が11になって、

貴方を111にしよう。



貴方とは100の違いがあるけれど、

出来る、かな?





此処には縛りもない。

頼んだよ。rienさん。



真理。

2010年05月16日
ひとまずの間。

諦めよう。

求めない。

強く抑圧。

そして

砕けてしまえ。


そういう事で、良いでしょう?


ああ。

2010年05月16日
ネーミングセンスがないのは毎度の事です。

眠れないので近い将来について考えてみる。





命の終わり。死。
それは未知。

ただ解るのは

動けない
考えられない


ようになるということ。


その後に何があるか、
古来から様々な議論をされている中、

自分もしてみたい。


まず人が死んだら精神はどうなるか。

私は全ては「無」であると考える。

これは私の経験上の「答え」というから編み出した結論だ。

答えについて定義しておくと、

答えとは大きく二種類に分けられる。

一つは数学のように、数や文字を並び替え、

式を解き、「自分で作り出す答え。」


もう一つは理科のような観察等によって「自然に生まれる答え。」



私は死とは無だと言った。

何故なら、

死は解けない。

天国だ地獄だ、と言うのは「自分で作り出した答え」に過ぎない。


それより、本物の死を「観察」してみよう。

そこには、「何も無い。」

また、「何も生まれない。」


故に死とは無である。


私はそう決めた。